始まり

 なんの目的も無く始めたブログ。基本的には日記を書こうと思っているが初めには誰に対してかもわからない自己紹介がてら経歴や現在の自分について気の乗る限り綴ろうと思う。

 そもそも自分は熱しやすく冷めやすいタイプなのでいつまでこのブログの更新自体が続くかもわからない。熱しやすいのでこの記事は長くなるかもしれない。

 実際自分の中には溜まりに溜まった言葉に発したいけど発せない、計量器では測れないし測りきれないほどの”ワルイモノ”があり、それらを吐瀉物のごとく吐き出す先が欲しかったのは事実。そんな溜まったワルイ言葉達の吐き出し先としてブログを続けるんだろうななんてことだけはブログを作るボタンを押した瞬間考えたくらい。方針はやっぱり無い。

 初っ端から文の展開がめちゃめちゃだなと思いながらも添削して訂正するほどの気力も無いので本題に移る。現在僕は大学に通い始めて二年目、横浜に住んでいる冴えない男子大学生。”大学二年”ではなく”通い始めて二年目”という表現をしているのには事情があるため察していただきたい。そのくらい冴えない大学生活を送っている。もちろん大学生という身分上自分のある程度の出費は自分で済ませたいのでアルバイトもしている。2014年度は塾講師、現在は塾講師とコンビニの掛け持ち。アルバイトに関しては述べたいことがあまりに多すぎるので後回し。とにかく毎日忙しい。この現世を地獄かと勘違いしてしまうほどに。現状は特にこれ以上綴ることも無し。ついでに、彼女もいない。あと、趣味は音楽(視聴)だが年明けにキーボードを購入し、人生のモチベーションを維持してもらっている。唯一の癒やし。

 インターネットとの付き合いは長く、それも今まで匿名で自分の身分も明かすこと無く活動していたのでこんな感じで自分のことを詳しく明かすのは斬新で少し恥ずかしい気もするが逆に体の奥の方からすぅっと抜ける解放感のようなものも同時に味わえて新鮮。筆(筆ではない)も乗ってきたので経歴を軽く語る。

 

~小学校~

 多分普通の小学生活を送っていた。元気で活発で明るかったし、毎日外で遊んでいた。勉強も周りの人よりできたし好きだった。最近も「ああ、小学校の頃は充実していたんだなあ」なんて思うことも多々。異性との交流もそこそこあったし、人生でも数少ない告白もされたっけな。高学年になった頃には周りよりも早くインターネットを使って不特定多数の人との交流も覚えてしまっていた。今思えばこれがよくなかったのかななんて思ったりも。

~中学校~

 人生が狂い始めた。当時あまり浸透していなかった”オタク文化”。人と違ったことをするのが好きな、典型的な厨二病だった僕はそのオタク文化に手を出してしまった。きっかけは単純で仲良かった友達がオタクだったから。真夜中家族が寝静まった頃にこっそり起きて深夜アニメを視聴するときの緊迫感や、脳機能が低下した深夜帯に感じる高揚感。全てが自分にとって新しい世界で、僕は完全にその世界の虜になっていた。「オタクは趣味を追求してるだけだしむしろ誇りに思うべきだ!」なんて言う今の自分が一番嫌いなタイプのオタクだったことは思い出したくもないけどそんな過ちは基本的に頭の裏っかわの辺りにこびり付いてくるもので、なかなかさっぱり忘れることは出来ない。そんな生活も当時は楽しかったし時々当時のアニメ観返して感傷に浸ったりもするのだけれども。

 小学生の頃から通っていた学習塾も中学生に上がると同時に、他の人とは少し違う、難関私立高校受験を目指すエリートなクラスに配属された。自分で望んだのだけれど。そこで初めて「自分より勉強ができる人間」、「分からない・解けない問題」に出会い小さな挫折を味わう。その時は勉強より楽しいことがたくさんあったし案外ショックでも無かったのだけれど。あと、今ほどプライドも高くなかったのかもしれない。わりと純粋な子だったし、我ながら。

 当然当時はオタクなんていたら排除されるべき存在だったから、小学校の頃まで仲よかった友達の中には、オタクになった僕を知って手のひらを返し嫌がらせをしてくるようなやつもいた。インターネットを覗けば、今まで見たこともないような暴言や荒らし・喧嘩を行っている場面もあった。そんな嫌な感じの取り巻きはどんどん僕の中枢を刺激し脳を侵し、思想は中学二年生くらいでかなりひん曲がってたと思う。その頃今の自分の土台ができあがってたんじゃないだろうか。あとやっぱり夜起きて昼間学校の授業中に眠るみたいな生活。やはり人間的じゃない生活を送ると脳や体に支障をきたすのでしょうね。

 ちょうどその中学二年生頃、学校では勉強ができるけど塾に行けば勉強ができない方に分類される。そんなジレンマを感じつつもその現状に脳みそがついていけなくなった。学校の友達が僕に対して言う「天才」とか「頭が良い」とか、別に中学生なら日常的に使う嫌味のつもりもさらさらない褒め言葉が自分より遥かに頭の良い人間を知っている僕にとっては煽りのように聞こえ、プレッシャーを感じ、軽はずみに「天才」なんて言葉を発する友達が許せなくなっていた。相当捻じ曲がってますね。ついにそんなジレンマも脳が処理しきれなくなったのか、ストレスにより初めての病院送り。夜中に急に倒れて病院に送られるなんてことが一度だけあった。原因は「ストレス性の便秘」。

 中学三年になると色々あり本格的に勉強を始めた。他にすることもなかったからひたすら勉強をやっていたし、成績はグングン伸びた。学校生活も担任やクラスメートに恵まれ良好。本当に一生中学三年生でいたかったくらい、良い一年間だったと思う。ただ、そんな充実していた生活とは裏腹に僕の思考はどんどん曲がった方向に進んでいった。中学三年に上がる頃、流行ったアニメは「とある科学の超電磁砲」や「けいおん!」など。ある程度”オタク文化”を理解している人なら分かると思うが俗にいう”ニワカオタク”を量産したアニメ軍だ。もちろん純粋なキモオタだった僕はクラスにどんどん湧いてくるにわかオタク共が許せなかったし、既に女嫌いだった自分にとって、オタク趣味の女は全員”冴えないオタク男子を趣味で釣るタイプの糞女”という認識になっていた(未だにこれはあながち間違っていないと思うが)。その風景を見るのは毎日苦痛だった。女は嫌いだし、それに群がる男も気持ち悪いから嫌い。その感覚は既に研ぎ澄まされ、それを感じるたびに僕は勉強に打ち込んだ。「こんな遊んでる奴らとは違って自分は勉強して良い高校に入るんだ。それで合格発表の掲示をされてみんなに評価してもらおう。」なんていう典型的なコンプレックスガリ勉へと変貌を遂げた。夏休み中は塾の夏期講習もあり本当に死ぬ気で勉強をした。多分人生で一番勉強した夏休み。夏休み明けには見事に学校の女の子との話し方を忘れてしまっていた。ここから女苦手を克服するのには長い長い時間を要しましたね。

 そんなこんなの受験勉強をしていたが、結果は第一志望は無事合格、その他いわゆる「チャレンジ受験」と呼ばれる完全に自身の名誉と通っていた塾の合格実績のためだけに受ける高校群は全て落ちた。正直第一志望の判定はずっと安全圏だったから合格になんの感動も無かった。目標は自分の名誉のための”ワセダ合格”という実績だけであったから。まさかいくつか受けたワセダの記号を埋め込まれた高校群が一つも受からないとは思わなかったため、不合格が確定した時(自己採点でほぼ受からないことが確定したため、自己採点をした日の夜)は文字通り涙が枯れるまで泣いた。中学三年間で泣いたのは、その時位だったかもしれないから、その分死ぬほど泣いた。合格実績の掲示に自分の名前を載せることで、自分の存在をひとりでも多くの人に認知されたかったし、自分の一年間の血の滲むような努力を認めて欲しかったから。誰にかはよくわからないけど。今も昔も自分は承認欲求と自己顕示欲の塊なので。努力は必ず報われるなんて言葉は成功者が言った言葉なんだと悟ったのもこのへん。ここから先は本当に脱力感で生きてきたし、失敗続き。これ以上書くと死にはしなくても自殺未遂くらいはする精神状態になってしまいそうだし、朝も来てしまいそうなので高校生編以降はまた後日。

読んだ人間が死にたくなるような文章を目指してまた書いていこう。